浮上してきた

ここ数週間はメンタルが落ち着かないまま怒涛の忙しさに突入して、なんというか、もう、がむしゃらだった。

何かを言い訳にしてここで休めば人生が終わってしまうような気さえして、とにかく目の前のことに没頭してきた。

その間、プリント生地予定納品日に工場さんと連絡つかずから始まり、縫製工場さんからパターン修正した方がよいだとか、生地プリントが一部ミスってるだとか、下げ札ロゴが反対に印字されてるなど、カウンターパンチを食らうようなアクシデント続き実際へろへろだった。

ただ救いだったのは、サンプルでは残念な仕上がりだった生地プリントがきっちり高品質で仕上がってきたこと。よいものが出来上がっている実感が得られてくると、段々と生気を取り戻してきた。

あともうひと踏ん張りでリリースだ。

なんとか、頑張るのだ。

リリースしたら即座に次のコレクションの準備に入るのだが。

一先ず今回の商品たちを軌道に乗せないといかんのだ!

社長さんと話す

昨日今日とふたりの社長さんに会った。

業種は違えどお二方とも業績上向き、明るい話が多くて刺激を受ける。

私は社長さんやお偉方とのアポイントが入ると数日前から緊張し、終わると「あ〜終わった〜〜」と脱力するちいさい人間なのだが、そのストレスを経てでも直接会うと必ず得るものがある。

大きい会社だと納税額が数千万単位だったりで、普段のわたしの経費の悩みなど誤差だなぁと少し気が楽にもなる。しかし、その誤差をきっちり積み上げて行くのも大切なんだけどね。

たまには、脳内をぐっと異次元まで持っていってくれるような方々、偉大だ。

ねこの居なくなった部屋

今日は昨日亡くなったねこの火葬だった。

ペットと言えど、自分で手配するのは初めてだったので緊張した。

約束時間より早目に到着したペット葬儀屋の中年男性は、話す事にやや障がいがあるのか聴き取りづらかったが、お別れの会を一生懸命執り行ってくれた。

私は青い花を、エスさんは写真を納棺して最後の別れをした。

1時間ほどでアツアツの骨壷になって戻ってきた。

確かめてみたい気持ちになり、骨壷の蓋を開けて中を覗いてみると、小さな頭蓋骨と細い骨がたくさん入っていた。あの小柄なねこそのものだった。

温かいうちにそれらを見られたことで納得できたのか、それからの私は穏やかだった。

こどもが帰宅するまでに猫に関するもの、移動バッグ、敷物、タオル、冬場のヒーター、トイレ、餌、点滴、注射器、全てのものをごみ袋に入れごみ置き場まで持っていった。

念入りに掃除機をかけた。

やけに清潔感の出た部屋になんとも言えない気持ちになった。

保育園から帰ってきた3歳のこどもは、ねこが亡くなったことに対してまだ、理解できていないようだった。

ペットとの別れについて

3週間ほど、看病していたねこが旅立った。

ここ1週間は、脱水症状でぺらんと軽くなってしまったり、補水点滴で水風船のように膨らんだり。

餌も水も全く口にしないので、最後は注射器で口の端から強制給餌していた。

最後はまともに歩けなくなり、よろよろとへたりこんでしまう姿。

急激な容態の変化に私の気持ちはついていけてないような、先回りして考えてしまっているような、地に足のついていないふわふわした日々だった。

最期は動物病院からの帰り道、私が小脇に抱えたかばんの中で息を引き取っていた。

かばんから出したときの力が抜けてだらんとした様子。光の無い眼には疑う余地もなく一瞬でああ終わったんだと、思った。

それからは自分の気を紛らわすかのように、ペット葬儀社を探し、いくつか価格を確認して電話した。

気持ちの整理がついてないからか、まだ温かいからだには触れられなかった。

ペットを飼うということ


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15年一緒に暮らしたねこが、2週間ほど前に腎臓病と甲状腺の癌の併発が発覚して共に闘病生活をおくっている。といっても彼はずいぶん前から身体のあちこちが痛く辛い日々をおくっていたのだろう。

思い返せば病気のサインは沢山あったはずなのに、気付かず末期になった今高額な入院治療もさせてやれず、どうしようもなく側にいるだけの自分に腹が立ったりただ悲しかったりして泣いている。無力。

 

こんな状況になって「ペットを飼うとは」ということについてぐるぐるぐるぐる考えてしまう。

 

東京に出てきてすぐ、ひとりの生活が物足りなくねこを飼い始めた。漠然と「飼うという選択をしたからにはいのちが終わる時まで面倒をみなくては!」と意気込み、周りで生活スタイルが変わったからと安易にペットを手放す人たちを軽蔑したりしていた。

そして今、命が終わろうとしている。

一体私は彼に何をしてあげられたのだろうか。

餌と水は切らすことなく与えていた。

一般的な猫愛好家に比べるとねことはドライな関係だった。

7-8年前までは寝るときも一緒に過ごしていたけど、今の夫と同棲し始めてからは潔癖な彼の意向で抱っこする時間も少なくなった。

私に子どもが生まれてからはもう殆ど抱っこをした記憶もなく、ただ同居人といった間柄だった。

一体彼は幸せだったのだろうか?

そんな事ばかり考えて日に日に痩せていく、ご飯も口にしなくなる、血尿が濃くなっていく、彼に嫌がる薬を飲ませ、背中に針を刺し点滴が規定量終わるとホッとする。

そんな事しかできない。

どのタイミングで亡くなったとしても、私は後悔と共に見送ることになるんだろう。

そんな事考えながらも、目の前のことをやっていくしかない。

紙虫には全滅してほしいと思っている

先日、もう数ヶ月も手を付けていなかったクローゼット前の紙袋に入った子供服などを移動したときに、紙虫を数匹発見して背筋の凍る思いをした。

あんなに気持ちの悪い虫が寝室に居たことが耐えられず、衝動的に防虫剤など数点、Amazonで注文。


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①調べたところラベンダーの香りに非常に弱いらしく防虫効果があるということで、クローゼットが防虫剤臭くなるのは勘弁だけどもアロマならウェルカム!と真正ラベンダー精油

②「紙虫 防虫」で検索して出てきたノンケミカルな菊花線香(蚊取り線香?)

③定番のクローゼット防虫剤。

 

調べたら無飲食状態で数ヶ月生きているらしく、たくましい…更に気持ち悪い…出来れば見たくもないので、本当に本当に本当に早急にみんなでお外に引っ越ししてください。紙虫たち。

最近やる気が向かなかった掃除に手を付けようと心に決めた。

ヨガと有機野菜

f:id:jb-nana:20190629234724j:plain今日は午前中、東都生協の生産者交流会。
ふだん口にしている食べものをどんな人が作っているのか。意識しても日々段々と薄れていってしまうので、直接お会いして濃く上書き保存していく大切な活動だ。
あらためてまた、大切に食べていきたいと思ったと同時に、組合員の参加率の低さに悲しくもなった。
食材を利用する以上に活動に参加してみよう、って思う人、すくないのかな。
生産者さん、皆さん遠い所からはるばる来てくださって贅沢な時間だった。

夕方からヨガ。
今日のヨガのクラスは、全ての動きが"今求めていたもの!"という感じでリフレッシュ以上の特別な時間だった。
今まで「ヨガ」について自分の中で「お洒落な趣味」みたいなマイナスイメージがあり、クラス中もたまに白けてしまうことがあったのだけど、
今日はポーズの途中、突然「このクラス、なんだかメスのライオンたちが木陰でリラックスしてるみたい」というイメージが降りてきて、しっくりきた。
お洒落な趣味ではなく、動物的、本能的なメンテナンスの時間。
次回のクラスからひとつ次の次元に行けそう。

まとまりがないけど、今日はおしまい。頭の中のことを記していこう。